【国鉄時刻表】1964年9月 名古屋駅 関西本線 JAPAN NAGOYA station ;KANSAI LINE time table 1964
HTML-код
- Опубликовано: 8 фев 2025
- 【時刻表の紹介】
1964年9月ダイヤ改正後
名古屋駅 関西本線 時刻表です。
当時の名古屋ー大阪間の鉄道輸送は、
関西本線も立派な役割を担っていました。
準急かすが(後の急行かすが)は主力列車でした。
今では見られない行き先と種別をお楽しみください。
当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
【訂正】
動画最後の解説について(4:10)
伊勢鉄道は1986年設立でしたが、伊勢線自体は1973年に開業しております。
誤解を与える表現になっており申し訳ありませんでした。
ご指摘いただきありがとうございました。
↓チャンネル登録はこちら
www.youtube.co....
お借りしたBGM
「木漏れ日の歌」/作(編)曲 : すもち 様
フリーBGM DOVA-SYNDROME
#国鉄 #鉄道 #昭和39年 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #関西本線 #名古屋駅 #準急 #客車 #過去鉄 #天王寺
懐かしのダイヤ、何時も拝聴させていただいております。
沿線に住んでる、あと数年で還暦を迎える者です。
かすが、平安..終焉まで、この時と余り変わらないスジでしたね。
伊勢、那智号..幼少の頃、親に連れられ、東京の親戚へ行った帰り、座席車に揺られた記憶が今でも鮮烈に脳裏に浮かびます。四日市で降り、振り向きざまに見えたのは、1両だけ、深い丸屋根に大きな窓の青い客車..物凄く印象的でした。後年調べたら、オロネ10だったようです。
普通列車も、今では考えられない、名古屋~湊町とか、足の長い列車が多かったですよね。
当時亀山は鉄道の要衝で、機関区、客貨車区、操車場と、大変賑わってました。
亀山や松阪での、声張り上げて駅弁を売り歩くおっちゃんの姿..
幼稚園児~小学生になる頃、一度だけD51牽引の貨物列車を線路端で見たこと..汽笛一声、機関士が手を振ってくれたこと..
加太坂では、キハ28/58が喘ぎながら登り、中在家信号場ではDD51牽引の貨物列車が待避し、交換したシーン等..
どこか郷愁を覚える、幼少時代の記憶が甦るようなBGMも素敵ですね。
しばしの間、遠い過去へのタイムスリップをさせていただきました。ありがとうございました。
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、嬉しいお言葉ありがとうございます。
時刻表や、関連する画像を見ながらコメントを読ませていただきました。情景が目の前に広がるようなコメントで、煩悩Rさんの幼少期からの貴重な思い出の数々を追体験できたような気がして、とても心が温まりました。ありがとうございました。
関西線名古屋口版の動画作成ありがとうございます。7時27分発の列車は1964年当時湊町行だったんですね。私が通学で使った90年代には亀山止まりに短縮され、213系5000番台で運転されていました。学生時代に思いを馳せつ楽しく拝見しました。
ご視聴とコメントありがとうございます。
よく乗車していた列車のルーツがわかるととても面白いですよね。
湊町まで直通で行けていたことが驚きです。少しずつ運転区間が短縮されていったことがわかりますね。
名古屋駅ありますか?とリクエストしようと思ったらキター!!!編集お疲れ様です!
準急かすがとか乗ってみたかったなあ
@茅野チノ さん
ご視聴ありがとうございます。
また、温かい言葉をいただき、ありがとうございます。
編集方法を最適化し、少しでも内容を濃くしようと努力していきますね。
ご希望に添えることができて大変うれしいです。
非冷房で、夏場は大変だと思いますが、
奈良ー天王寺間を最速32分で走り抜ける(現在の大和路快速とほぼ同じ)、
キハ55系を体感したかったなと思います。
コメントありがとうございました。
東海道新幹線の開通前、名阪間の輸送の主力は近鉄でしたが、かすが号も俊足で飛ばすことから人気があったようです。名古屋~奈良はほとんどが単線だったにもかかわらず3時間で結んでいたのは凄いものです。
後に有名になる新宮から寝台車を連結して天王寺に向かう普通列車はまだ無かったのですね。
@TSUYO S
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
非電化単線で線形も悪い中、なかなか頑張っていた印象はありますね。
921レ、普通「南紀」ですね。1967年10月の時刻表には921レ天王寺ゆきの記載がありますが、寝台車の連結はありませんでした。いつから921レが走り始めたのでしょうね。
@@tomoyankun さんへ。名古屋〜天王寺の普通は、最初は1等座席車を連結していたようです。
@@tomoyankun さま
15時31分の普通列車の新宮行きから接続していたのかもしれませんね。
この時刻表には湊町行きの普通列車が何本か出ていますが、キハ35での運用もあったとか。
湊町~奈良の快速の続きの運用ですが、この距離をロングシート、冬はドアの隙間から風が入り込む劣悪な環境でした。この頃ですら近鉄との競争は諦めていた証拠かと思います。
関西本線は20年前に18きっぷで学生時代に乗り鉄しました。亀山で途中下車したのですが、駅舎に最盛期を思わせる風情があり素晴らしく、今も強く印象に残っています。賑やかだった亀山駅を観たかったなあ。
ご視聴とコメントありがとうございます。
駅構内の広さと、転車台が、当時の賑わいを伝えてくれますね。人の往来でにぎやかだった当時の亀山駅に降り立ってみたいですね。
1971年に当時高校生だった友人と名古屋へ行くのに急行かすがを利用しました。奈良から近鉄だと西大寺と八木で2回乗り換えなのと、前日に近鉄の青山トンネルで衝突事故があったので国鉄にしました。急行かすがと聞くとその時の思い出が浮かんで来ます。
ご視聴とコメントありがとうございます。
まだキハ58系に置き換えられる前で、キハ55系の時代ですね。平安との併結運転も行い、活気があったでしょうね。
@@tomoyankun 車両はキハ58で、近鉄の事故の影響で満席状態だったのを覚えてます。
コメントありがとうございます。
名阪間の輸送に近鉄が果たしていた役割の大きさがわかる出来事ですね。
@@正和今中さん近鉄大阪線青山トンネル事故は、1971年10月25日発生ですね‼️⚠️
しかも翌日の26日は、天理教の月例祭だったので、混雑していたのだと思います😊‼️
むちゃくちゃ良き良き🙌🙌
1 湊町は、いまJR難波となり地下化され、通勤路線となり、広大な留置もターミナル機能も、ほぼなくなりましたが、大和路線という愛称で、関西本線は奈良方面からの普通全部と、快速の半分くらいは、JR難波終着です。
2 ひだの延長運転 2:40ごろは、初耳です。できたら、富山からの発着主要時刻だけでも、紹介あったら嬉しいです。
3 紀勢本線は、紀勢東線、西線が、最後新宮でつながるまで、かなりの難工事。たしか1959全通だったかな。
この時期は、全盛期1968-1973に向けての助走期間だよね。紀勢本線の歴史にも触れて欲しかったな。短期間でしたが、東京発の、ブルトレ紀伊も、名古屋で解結していたんですよ。
ご視聴とコメントありがとうございます。
1 地下化されたJR難波駅、なにわ筋線が完成すると、JR難波駅の様子も大きく変わるかもしれませんね。これからの変化を見守りたいですね。
2 四日市ゆきの「ひだ3号」は高山駅始発でした。しかし利用率は思ったほど伸びず、約3年で廃止となってしまいました。主要駅の発着時刻を記載させていただきますね。
高山(14時00分発)→下呂(14時59分着・15時02分発)→美濃太田(16時7分着・16時8分発)→岐阜(16時38分着・16時42分発)→名古屋(17時12分着・17時15分発)→四日市(18時3分着)
3 紀勢本線の歴史について、調べてみました、大変な難工事で当時の工事関係者の苦労が伝わってきました。路線の歴史も大変興味深く、面白いですね。今後の動画では路線の歴史についても触れていこうと思います。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
今の近鉄甲特急が名古屋―難波2時間ちょっとなことを考えれば、50年以上前に大半が単線非電化の路線で名古屋―湊町3時間少々の準急かすがはかなりの俊足ですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。
単線非電化、勾配もあり線形が良くないことを考えても、かなり健闘していたことがわかりますね。
この時期が関西本線が最盛期から落ち目にさしかかった時期の分岐点ですね。
名阪近鉄特急が名古屋~大阪上本町(現在の近鉄難波は1970年から)まで走り、新幹線が通り、関西本線の役割が終えそうなことをこのダイヤからは予想できませんでした。現在は名古屋~亀山がJR東海が管轄、亀山から先、柘植、木津、湊町(JR難波)がJR西日本に分割され、名古屋口、難波側が通勤通学路線に。亀山から木津までは閑散としたローカル線に変わりました。
亀山も企業城下町としてシャープの工場がありましたが、企業の業績悪化でかつての活気が失われ、亀山自体も人口減少が続いています。かつての亀山は名古屋、大阪、南伊勢、紀州の重要な交通拠点だった名残が残っています。
ご視聴とコメントありがとうございます。
この時代の関西本線は、まさしく「本線」と言える状況でしたね。
現在とこの時代の時刻表を比較すると、そのあまりの違いに驚きますね。最後まで残った「急行かすが」は「いつか乗ろう」と何度も見ているうちに廃止になってしまいました。
名古屋~天王寺(関西本線経由)の特急あすかは僅か2年と短命に終わった
同じ名古屋~天王寺(亀山から紀勢本線経由)のくろしおは息の長い特急として現在は京都、新大阪~白浜、新宮と紀州路を走破している
@政弘樹
ご視聴ありがとうございます。
いつも補足説明ありがとうございます。
関西本線は優等列車がなかなか定着しない路線でしたね。
時々、「関西本線が電化複線化を果たし、優等列車が今でも残っていたら」と思ってしまいます。
コメントありがとうございました。
政弘樹さん
特急「あすか」は、天王寺には寄りません、「あすか」は途中、竜華ー杉本町間の阪和貨物線を経由して、名古屋ー東和歌山(現:JR和歌山)を結んでいました。
亀山駅、懐かしいですね。鳥羽行の列車がこの駅で6分ほど停車するとことで、ホームで立ち売りの駅弁を買ってもらいました。なんとその駅弁は、日本でもここだけのハマグリしぐれのお茶漬け駅弁。熱いお茶をかけて車内の今風に言えば青いボックスシートに腰かけて食べた記憶があります。残念ながら駅弁を販売していた食堂の廃業によりその駅弁も3年前に消えてしまいました。リニアが大阪まで伸びる際、亀山に駅ができるというもっぱらの噂ですが、やはり賑やかな亀山駅を知る者としては寂しい限りです。
ご視聴とコメントありがとうございます。
大変良い思い出ですね。「ハマグリしぐれのお茶漬け弁当」を調べてみました。夜中前に見るには刺激の強い、大変おいしそうなお弁当でした。一度食べてみたかったです。
亀山市内のどこに駅が設置するかで、今後の亀山市の様子が変わってきそうですね。
@@tomoyankun さん
すみません、今回は名古屋駅のでしたが亀山駅の名が目に入り、思わず書き込んでしまいました。行ったことのある行き先の思い出をたくさん思い出してしまいますね。単なる時刻表なのかもしれませんが、やはり列車名や行き先を知り、また乗車した事のある列車や訪れた行き先の地名を画面で眺めるだけで、私にはとてもありがたいものです。もうほとんどの列車は復活することはありませんが、たくさんの鉄道に関する思い出を演出して頂いた国鉄さんと各JRさん、そして私鉄各社さんにはこの場を借りて厚く御礼申し上げたいです。これからもこの動画を楽しみにしております!
コメントありがとうございます。
とんでもございません。当時を知る人、知らない人を問わず、思い入れのあるエピソードや当時の思い出などをコメント欄を使って書いていただければ大変嬉しいです。私もコメントを拝見し、当時の事を新たに調べることで、時刻表をより楽しむことができ、毎回大変嬉しいです。
この動画が、かけがえのない思い出をよみがえらせるきっかけになりましたら、これ以上ない喜びです。これからも時刻表の楽しさをお届けできるよう頑張ってまいります。
8:30と8:38に普通列車が連続発車してるが当時伊勢線は無かったから鳥羽行きは亀山駅を経由してるのな
謎なダイヤである
@ななしうたひと
ご視聴ありがとうございます。
8時30分発の鳥羽行き普通列車は、終点まで主要駅以外を通過しながら運行しており、亀山着は9時41分。
一方8時38分発の亀山行き普通列車は、終点まで午起駅以外の各駅に停車し、亀山着は10時19分でした。伊勢神宮参拝としての役割があるため、このような設定があったのではないかなと勝手に思っています。
コメントありがとうございました。
『湊町』の表記が懐かしいです。
現在の『JR難波』。
@くろぶん
ご視聴とコメントありがとうございます。
「JR難波」に変わったのは1994年ですので、もう30年近く経ってしまうのですね。早いものです。
@@tomoyankun
関西国際空港の開校に合わせて駅名を変えました。
@くろぶん
仰る通りですね。関西空港も開港からもうすぐ30周年と考えると、本当に月日が経つのは早いですね。
「かすが」は晩年も810名古屋発だったなぁ。
伊勢鉄道は1986年設立ですが
伊勢線自体は1973年開業です
@THC_Takumi Hobby Channel
ご視聴ありがとうございます。
最後の説明の部分ですね。
誤解を与えるような表現になってしまっていたこと、大変申し訳ありません。概要欄部分に訂正文章を記載致します。
伊勢線について再度調べてみました。伊勢線に一時は廃線の話が持ち上がっていたことを知り驚きました。
大変勉強になりました。貴重なご指摘ありがとうございました。
@@tomoyankun
今は関西線に近い場所に住んでいるため、名古屋方面に行くときはよく利用しているんです
新幹線開業前は重要幹線でしたが、新幹線開業と近鉄の追い上げが運命の分かれ道だったようですね
国鉄時代にもっと投資していれば奈良方面はともかく伊勢、南紀方面はもっと便利になった板と個人的に思っています
亀山駅には当時の写真が展示されていたり、蒸気機関車時代のターンテーブル、広い構内など賑わっていた時代の名残があるので面白いですよ!(時間が無くてあまりじっくり見たことはありませんが・・・)
コメントありがとうございます。
確かに、国鉄時代に投資していれば、今とは違った関西線が見れたのかなと想像してしまいますね。
亀山駅は18切符利用時に、乗り換え駅としてしか利用したことがありませんでした。ターンテーブルといった、当時の名残があるのは全く知りませんでした。亀山駅を通る機会があれば、是非一度訪れてみたいなと思います。ありがとうございます。
まさか難波まで行けたとは驚きですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。
今となれば信じられない行き先ですよね。思いもよらない「行き先」や「経路」が出てくるところが、昔の時刻表の魅力ですね。
主役の座を新幹線や近鉄線に明け渡してしまった関西線
この頃は、三岐鉄道は国鉄富田駅発着で、富田〜四日市まで気動車で乗り入れてました。
@鵺屋敷の管理人鵺太郎
ご視聴とコメントありがとうございます。
時刻表をもう一度見てみると、確かに一日数本だけですが乗り入れていますね。1954年には全線電化されていたにも関わらず、乗り入れのために気動車が使用されていたのですね。
@@tomoyankun さんへ。三岐も不便な国鉄に見切りをつけて、昭和45年頃から近鉄富田駅に乗り入れてます。石灰石を積んだ貨物はJRに乗り入れてます。静岡の遠州鉄道が西鹿島から国鉄二俣線に気動車で乗り入れていた事もありました。
返信ありがとうございます。
三岐鉄道の富田駅周辺の配線をグーグルマップで見てみましたが、どちらにも近鉄、JRの双方に線路がのびていて、おもしろい配線ですね。
遠州鉄道の乗り入れを1964年で調べてみました、上り下りそれぞれ1日4本乗り入れしていますね。当時は私鉄との乗り入れが多かったのですね、
あちこちの線区見せていただいてます。一つお願いしたいことがあります、それは全列車の列車番号を揚げてほしいということです。列車番号で使用車両に思いを馳せる事ができるからです。どうぞよろしくお願いします。
@おっさん28号
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通り列車番号は確かに使用車両を考える大切な情報ですね。解説を作成する上で私も「列車番号」を利用する事が大変多いです。一度すべての列車番号を追加したデザインもできないかどうか考えさせていただきます。リクエストありがとうございました。
今もほぼ単線ですが時間も本数が全然違いますね。
@松尾 義英
ご視聴とコメントありがとうございます。
現在の関西本線のダイヤは単線ながらも線路容量の限界に近いところまで運転していますね。
関西線の亀山駅の国鉄の時刻表を知りたいです
リクエストとして各県庁所在地駅の時刻表が見たいです
@のぞみは西へ
ご視聴ありがとうございます。
リクエストありがとうございます。
今後の動画のテーマを選ぶ際、県庁所在地駅の観点からも選んでいこうと思います。
コメントありがとうございました。
現大和路線直通の列車も数本あるなぁー。
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時の一部の列車は奈良ー湊町(後のJR難波)を約40分で走破していました。停車駅は奈良・郡山・王寺・天王寺・湊町でした。大和路快速も驚きの速さです。
妻の実家が天王寺そばにあるので、「大和」があったらめっちゃ帰省が捗ってたのに。サンライズ大和をキボンヌ(笑)
ご視聴とコメントありがとうございます。
まだ『大和』が活躍していれば、真っ先に乗りたかったです。
湊町はいまのJR難波駅だっけ?
正解です
キハ35乗客をバカにした気動車ですね。客車からの転換大きい。こんなこと思うのは私だけでしょうか?私が生また昭和36年関西線でデビューしたとね。
東京〜湊町・和歌山市を結ぶ大和、東京〜鳥羽・新宮を結ぶ伊勢(鳥羽)、那智(新宮)も、一本に統合されて鳥羽・新宮・王寺を結ぶ紀伊になり、その後、特急インフレと茶化されたが特急「紀伊」と格上げされたが、結局は廃止になって、過去の思い出の世界に走り去った。
紀伊で思い出すのは、名古屋駅で酒酔い運転のDD51機関車が暴走して寝台車に衝突した事故です。
地元のテレビの朝のニュースで、無惨な事故の映像を流してました。
ご視聴とコメントありがとうございます。
昔の時刻表を見ていると、「紀伊」に限らず、当時の時刻表の中では活躍している列車達の多くが、現在では廃止になっていることがさみしくもあります。
特急「紀伊」の事故詳細を見てみましたが、客車がこれだけゆがむ衝撃にもかかわらず、負傷者を出すだけで済んだのですね。時速20km/hで衝突したのが信じられませんね。